創成期 │ 1921(大正10)年-1944(昭和19)年
1921年鍜治田組の船出
1921(大正10)年6月5日、弱冠23才の鍜治田菊太郎が、奈良県南葛城郡御所町(現在の御所市156番地)において「鍜治田組」を創業。建設業の道に踏み出した。
創業当時の鍜治田組(右端が菊太郎)
創業者
鍜治田 菊太郎
(1898-1945)
1927年製材工場を開設し一貫工程をめざす
創業5年目の昭和2年、御所町に自社製材工場を設立。原木を仕入れ、運搬、製材・加工、そして建築という一貫したシステムは当時としては画期的な取組みであった。
木材費が建築費の3分の1を占める時代、工費の削減と工期の短縮を大幅に実現でき、折からの大不況下でも、競争力を確実に高めることができた。
のちにその手腕を買われ、国からの要請もあり、昭和16年、奥吉野十津川村に「東亜林業」を設立し、満州鉄道の枕木生産に携わることとなる。
製材工場(1950年代)
1930年「鍜治田組」から「鍜治田工務店」へ
地元官公庁を中心に受注は順調に伸び、昭和5年、建築を主体にしたイメージを強調するため、社名を「鍜治田組」から現在の「鍜治田工務店」に変更。当時としては斬新なネーミングとして注目された。
十津川に組まれた貯木堰
(1941年頃)
忍海尋常高等小学校講堂上棟式
(1940年)
1937年済生会御所病院を手掛け、特別会員に推挙される
昭和12年、地元御所に済生会病院誘致の話が持ち上がる。菊太郎は土地の手配から建築までを進んで引き受けた。当社が初めて手掛ける医療施設であった。
その功により、当時としては異例ともいえる、済生会の特別会員に推挙される。当社と済生会御所病院との長い関係が始まる。
当時の菊太郎(1937年頃)
済生会総裁から贈られた特別会員章
済生会総裁から贈られた感謝状
当時の菊太郎(1937年頃)