その地からのKAJITA 大阪編

鍜治田工務店が、奈良から大阪へ進出したのは半世紀以上も前となる1964年のこと。まずは小さな営業所を構え、事業を本格化させたのは1972年からになります。

鍜治田工務店は、すでに地元奈良において官公庁系の仕事をしっかりとやる企業として、確かな地位と評価を得ていました。それにもかかわらず競争の激しい大阪に打って出るというのは冒険過ぎるのではないか、と危惧する声もありました。しかし、安定した奈良だけに留まっていては鍜治田工務店の将来が見えてこない、今必要なのは改革と挑戦であるとの決断で、大阪での事業に本腰を入れて取り組むことになったのです。

当時を知る社員は「奈良で十分に仕事もあって大変に忙しい。それをわざわざ……」と思ったそうです。大阪営業所への異動は左遷のようなものと裏でささやかれていたこともありました。

全く一からのスタートのような大阪で、当時の中堅ゼネコンがあまりやりたがらなかった10億以下のマンションなどを、徹底的に拾っていきました。悔しいことながら、鍜治田工務店の名前ではマンションの売れ行きが悪いので、大手や中堅ゼネコンの下請けもたくさん受けました。

苦しい思いも数多くしましたが仕事においては決して妥協しませんでした。すると、やはり世間はきちんと見てくれているもので「鍜治田工務店はいい仕事をする」と評判になっていったのです。そして事業主から直接仕事がいただけるようになりました。今ではすっかり大阪の鍜治田工務店であると自負しています。

鍜治田工務店は今、東京や名古屋などに進出し「その地に根を張って地元企業としての信頼を得る」ことを目標に拠点展開しています。ゼロベースから始めるリスクを冒してでも、夢を求めて「その地」に進出する。そこに行かなければ夢は実現しないからです。これが大阪本社の歴史をロールモデルにしていることは言うまでもありません。

  • 大阪本社ビル(伏見町KYビル)と記念式典
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