その地からのKAJITA 東京編

「いつか東京で仕事ができるような会社になれたら……」と、その鍜治田工務店の念願がかなったのは社長交代の時と同じく2007年の8月1日でした。人、物、スピード、いずれも関西を遙かに上回る躍動感に満ち溢れた東京圏での仕事は驚きと感動に満ちていて、わくわくするような将来性が感じられるものでした。

幸いなことに東京には関西から進出した企業が多くあります。当社の企業理念をよく理解して頂いているお客様もあって、未知の大海に乗り出した鍜治田工務店にとっては大変心強く、まさに灯台の光のようでした。初受注もすぐにいただき、お客様・設計事務所・協力業者への具体的なアピールとなって幸先のよい出発となりました。

しかし良いことばかりは続かず、耐震強度偽装問題での混乱や、リーマンショックの波に襲われ、マンション案件が皆無となってしまいます。案件情報を得るため、手分けして各区役所に出向き工事計画届出を閲覧、情報収集を行なって新規顧客に繋げるなど苦しい時期が続きます。加えて商文化の違いもありました。特に重要な基盤となる協力業者との関係にギャップを感じたものでしたが、アポイント無しでの訪問も歓迎するなど、情報交換や意思疎通を図りつつ、鍜治田工務店の企業理念を機会あるごとに説いて関係の構築に努めました。結局、同じ日本のことであり、東京、大阪のよい点を取り入れてハイブリッド東京にすればよいのだ、と理解しました。

そうした地道な努力が実り、順調に実績を積み上げて、2011年には営業所の場所を京橋に移し、安全衛生協力会東京支部を立ち上げ、そして予定よりも早く支店への昇格を果たしています。

かつては、お客様から「ダメだったら大阪に帰るのか?」とよく聞かれたものです。「まったく考えていません。片道切符で来ました」が返事でした。東京市場に可能性を感じることはあってもネガティブなイメージを抱くことはなかったからです。今後も東京一極集中の流れは止められません。東京には世界を相手に物事を動かしている実感があり、ライバルは世界の主要都市。そんな中で鍜治田工務店が成長できる可能性も無限にあるはずです。企業理念さえしっかり守っていけば、手応えは十分過ぎるほどあります。

東京は今、オリンピックを通過点にその後を見据えた動きが随所で始まっています。もちろん鍜治田工務店もその大きな潮流に乗ると同時に「お客様の役に立つ建設会社、東京の鍜治田工務店」の評価を頂ける会社になれるよう精進してまいります。

  • 東京営業所が開設された三友常盤橋ビル
    東京営業所が開設された三友常盤橋ビル
  • 東京営業所の初受注物件エステムプラザ品川駅前
    東京営業所の初受注物件
    エステムプラザ品川駅前